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私がまだ20代の頃、英語の授業で中学1年生に 三人称・単数・現在のS について説明していた時の話です。
「She (like) a dog. の like を likes に変える必要があるか」と尋ねたところ、
「likes にする必要がある」と、全員が答えました。
わたしは、基本的なことなおおよそ理解してくれたかな、とひと安心していました。
ところが、
「Yuki (like) a dog. の like を likes に変える必要があるか」と念のために尋ねたところ、一部の生徒が
「likeのままでよい」と答えました。
私は一部の生徒はまだ三人称を理解していないと考え、図を用いながらもう一度丁寧に説明を始めました。そして、その生徒たちも三人称の説明に納得したようすでした。
しかし、その子らは同じ質問に対し、
Yuki likes a dog. ではなくてYuki like a dog. を、再び正解として選びました。私は少し動揺していました。「どうしよう…」しばらくの沈黙のあと、私はあることに疑いを持ちました。
Yuki (like) a dog. の訳を
【由紀さんは犬が好きなのよ】ではなくて
【(私)由紀は犬が好きなの】または
【(あなた)由紀は犬が好きなのね】と考えているのでは…
そして尋ねたところ、その生徒たちは
【(私) 由紀は犬が好きなの】と考えていると答えました。
何故私がこのことに気が付いたかといえば、その子らが全員女の子だったからです。昔から女の子が自分のことを名前で呼ぶことに違和感を持っていたので、若いころの私でもこのことに気が付けたのです。
説明が伝わらない時、このようなズレのようなものが、教える側、教えられる側の間に存在していることがあります。それらが修正されないまま積み重なっていくと、生徒は、
「わけがわからない」と不満を口にするでしょう。私の「当たり前」は彼らの「当たり前」とは異なるということを意識するようになって、私はそれ以前よりもマシな先生になったかもしれません。
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